真逆の世界
だいぶ小さい頃から、なぜこの世界は何でも逆になっているのだろうと思っていました。
特に「私はこう信じている」この言葉が全く理解できませんでした。
辞書にはこういう風に書いてあります。
【1】真実である、また、正しいと思う。信用する。信頼する。「相手のことばを―」「自分の―道を進む」【2】信仰する。「仏教を―」
でも、これ、なんか変ですよね?
真実である、っていうのと、正しいと思うのは全く違うことですよね?
「私はこう信じている」子供心に、この人は嘘を言っているなと感じました。嘘というか、子供って単純ですから大人の複雑な心なんてわからないですしね。大人の事情とか(笑
簡単に言ってしまえば、「信じている=信じていない」ということですが、これに気づくまでにはだいぶ時間がかかりました。
これ、ずいぶん前にブログに書いた(今はRe:CreationのHPにしちゃって、その時に断捨離で10年分くらいあった記事全部消しちゃいましたけど)「良い人になろうとしている人は、すでに今良い人では無い」という記事と似た感じです。
良い人になろうとしているのですから、今は良い人では無いということです。
似たような感じで、「信じている」も、本当にそう信じているなら言う必要も無いことですし、どちらかというと「信じたい、けど、信じられない」みたいなニュアンスなので、「信じている=信じていない」。
ちょっと試して頂きたいのですが、「私は人間であると信じている」って言ってみてください。どう感じますか? 人間じゃ無いと思っている人は別にして、言った途端に何か不安のような「ほんとうにそうなのか?」みたいなものが浮かんできませんか?
面白いですね。
子供の頃からそういう感じで、「なぜみんな逆のことを言うのだろう?」みたいに思っていましたが、大人になってから精神世界(今で言うスピリチュアル系)のことを知るにつれて、今度は「なんでこの世界では真実が逆になっているんだろう?」と思いました。
神は外にはいなく自分の中にいるし、固体かと思ったら空間的には空っぽのエネルギーだったりとか。
いままでそういうことは一切書いてきませんでしたが、これからは追々そういうことも書いていこうと思います。
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